ジョージ・タケイ氏の経歴
ジョージ・タケイ。人気TVシリーズ、スタートレックのミスター・スールー役(吹替えでは、ミスター・カトウ)で有名な彼は、30本以上の映画、数百本に及ぶTVに出演しています。
アメリカのエンターテイメントに貢献した著名人の名を刻んだ星が埋め込まれている、ハリウッド通りのウォーク・オブ・フェイム。1986年、スタートレックのオリジナル・シリーズのレギュラーとして世界中に知られる彼の名が、星のひとつに刻まれました。さらに、1991年、彼のサインと手形が、ハリウッドのランドマーク、グラウマンズ・チャイニーズ・シアターの前庭のコンクリートに仲間入りしました。
2006年、彼はシリウス・サテライトラジオ局のハワード・スターン・ショウのセミ・レギュラーになりました。1月のスターンがデビューした週に、アナウンサー兼パーソナリティとして出演。他にも、6月に4日、9月に2日、12月に4日出演しました。
さらに、2006年、NBCテレビの「ヒーロー(Heroes)」で、ゴールデングローブ賞ノミネート俳優マシ・オカが演じるタイムトラベラー、ヒロ・ナカムラの父親、カイト・ナカムラ役として出演しました。初回の放映日は、2007年1月29日でした。
彼の演技は音楽産業でも賞賛されています。1987年グラミー賞の『語り、音楽以外の録音』部門で、ノミネートを受けたのです。ウォルト・ディズニーの長編アニメ映画「ムーラン」そして、「ムーラン2」、スタートレックのオーディオ小説の録音、FOX−TVの「ザ・シンプソンズ」、「フューチャラマ」など、その特徴的な声で、声優、ナレーターとしても数多く活躍しています。
コミュニティ活動家の彼は、全米で最初のアジア太平洋系アメリカ人劇場、イースト・ウェスト・プレーヤーズの評議会のメンバーです。また、彼は全米日系人博物館の名誉理事長であり、カリフォルニア州市民的自由公的教育プログラムの諮問委員会委員でもあります。
レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの世界最大の団体、人権キャンペーン(HRC)のメンバーとして、カミングアウト・プロジェクトのスポークスマンを務めています。2006年4月、彼は全米を演説して回る「イクアリティ・トレック(Equality Trek)」ツアーをスタート。ゲイの日系アメリカ人としての人生について話して回りました。
2004年から2005年にかけては、TV視聴率に関する独立諮問委員を務めました。前の議長カーディス・コリンズの下、19人のメンバーは、ニールセンの視聴率調査は有色人種を含むTV視聴者の多様性をもっと正しく計るべきだ、という勧告を提出しました。
演技歴は40年以上になります。始まりは、カリフォルニア大学のバークレイ校時代、1年生と2年生の間の夏休みに、映画の吹き替え役募集の新聞広告に応募し、採用されたことでした。その映画とは、「空の大怪獣ラドン」という日本の映画で、有史前の生物が大都市を襲い、人々を恐怖に陥れるという設定のSF物でした。カリフォルニア州はカルバー市にあるMGMのスタジオで、8人分の役を日本語から英語に吹き替えしました。
プロ俳優デビュー作は、TVドラマの草分けといわれた生放送番組、「プレイハウス90」でした。映画デビューは1959年で、リチャード・バートン主演のワーナー・ブラザーズ映画「北海の果て」でした。他に出演した映画は、スタートレック映画6本(「スタートレック6:未知の世界」、「スタートレック5:新たなる未知へ」、「スタートレック4:故郷への長い道」、「スタートレック3:ミスタースポックを探せ!」、「スタートレック2:カーンの逆襲」、「スタートレック」)と、「DC9・11」、「グリーン・ベレー」、「A Majority of One」、「Noon BlueApples」、「Who Gets the House?」、「ムーラン」、「ムーラン2」、「トレッキーズ」、「The Best Bad Thing」、「Patient 14」、「Vanished」、「Live by theFist」、「Bug Busters」、「Kissinger and Nixon」、「Prisoners of the Sun」、「続・戦場にかける橋」、「レッド・ライン7000」、「戦雲」、「歩け走るな!」、「地獄の逢びき」、「P.T. 109」、「スペース・リザード3001 宇宙の極道蜥蜴」、「The Loudmouth」、「Which Way to the Front?」、「Bicycle Built for Three」、「戦場よ永遠に」があります。
スタートレックのオリジナル・シリーズへのレギュラー以外のTV出演は、ゲスト出演も含め以下の通りです。「Heroes」、「Cory in the House」、「Psych」、「Comedy Central Roast of William Shatner」、「ウィル&グレース」、「Malcolm in the Middle」、「Freddie」、「Scrubs」、「3rd Rock From the Sun」、「ジェシカおばさんの事件簿」、「Watching Ellie」、「Grosse Pointe」、「Early Edition」、「Dr.マーク・スローン」、「In the House」、「ジョン・ウーの狼たち絆」、「Homeboys in Outer Space」、「マペット放送局」、「Brotherly Love」、「スパイ大作戦」、「トワイライト・ゾーン」、「ペリー・メイスン」、「Hallmark Hall of Fame」、「マイアミ・バイス」、「アイ・スパイ」、「Son of the Beach」、「ドクター・ウェルビー」、「ハワイアン・アイ」、「ハワイ5−O」、「鬼警部アイアンサイド」、「燃えよ!カンフー」、「ミスター・ノバック」、「ミスター・ロバーツ」、「600万ドルの男」、「原子力潜水艦シービュー号」、「The Wackiest Ship in the Army」、「Death Valley Days」、「BaaBaa Black Sheep」、「華麗なる世界」、「コンバット」、「Chico and the Man」、「エディの素敵なパパ」、「冒険野郎マクガイバー」、「カリフォルニアン」、「Chrysler Theatre」、「U.S. Steel Hour」、「パパ大好き」など。
彼は、アメリカ映画芸術科学アカデミー(アカデミー賞を贈与している団体)、アメリカTV芸術科学アカデミー(エミー賞を贈与している団体)、Actors' EquityAssociation、映画俳優協会、American Federation of Television and Radio Artistsの会員です。
舞台分野では、2005年10月26日から12月4日まで、ロサンゼルスのイースト・ウェスト・プレーヤーズにて、ティム・ダン監督でピーター・シェーファーの「エクウス」に主演しました。
舞台活動としては、エジンバラ・フェスティバルでScotsman First Awardを勝ち取った「Undertow」、フィリップ・カン・ゴタンダ作で、ニューヨークのマンハッタン・シアター・クラブとロサンジェルスのマーク・テーパー・フォーラムで上演された「The Wash」があります。他にも、ニューヨークのアメリカン・プレイス劇場で上演された「Year of the Dragon」やニューヨークのビリー・ローズ劇場とロサンゼルスのメトロ劇場で上演された「Fly Blackbird」に出演しました。ジョージはイギリスのブライトンにあるドーム劇場で、ミュージカル版の「白雪姫」にも出演、イギリス、レディングのヘキサゴン劇場の「アラジン」でジニーの役を演じました。
2002年6月には、オハイオ州デイトンのロフト劇場にて、ヒューマン・レース・シアター・カンパニー・コンサート・プロダクションのステファン・ソンドハイム作「太平洋序曲」に出演しました。
彼は、スタートレックというTVの真髄ともいえるSF番組にかかわり、ヒカル・スールーという役を演じることができたことを大変誇りに思っています。元々、USS エンタープライズのパイロットだったスールーは後に昇進し、1991年公開の映画「スタートレック6:未知の世界」ではUSS エクセルシオの艦長として登場します。彼は、1996年、スタートレック:ヴォイジャーのエピソード「伝説のミスター・カトー ("Flashback")」にて、再びスールー艦長役を演じました。
彼の才能は、作家活動にも及び、1979年にロバート・アスプリンとの共著でSF小説「Mirror Friend, Mirror Foe」を書いています。
1994年にポケット・ブックスから出版された自伝「To the Stars」によれば、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。第2次世界大戦勃発により、12万人の日系アメリカ人とともに、家族共々、有刺鉄線に囲まれたアメリカの強制収容所に送られました。そして、子供時代の大半を、アーカンサスの沼地にあったローワー収容所と北カリフォルニアの風が荒ぶトゥール・レイク収容所で過ごしました。
家族は、無事彼の生まれ故郷ロサンゼルスに戻る事ができました。そして、ロサンゼルスそのものが、彼を演技への道に導いたのです。映画会社のスタジオ、高い塀の向こうに魔法のようにそびえる野外撮影用のセット、それらは彼にとって魅力的な存在でした。授業の寸劇、中学の演劇クラブ、高校の演劇という活動を経るにつれ、徐々に自分の夢は俳優になることだと悟りはじめました。
ロサンゼルス高校を卒業後、彼はカリフォルニア州立大学バークレイ校に入学しました。後に、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に転学し、1960年に演劇学学士を、1964年に演劇学修士の学位を取得しました。彼はイギリス、ストラトフォード・アポン・エイボンと上智大学で開催されたシェークスピア協会に参加。ハリウッドでは、デジル・ワークショップで演技の研究をしました。
俳優としてのキャリアに加え、彼は市民活動にも参加し続けています。女優ボーラ・クォと共にプロデュースし、自らホスト役を務めた公務番組「Expression East/West」は、1971年から1973年の間、ロサンゼルスのKNBCテレビで放送されました。
政治活動家の彼は1973年ロサンゼルス市議に立候補し、僅差で敗れました。そして、政治家か俳優か、どちらの道を選ぶかの岐路に立たされ、決断せざるをえなくなったのです。彼は俳優の道を選び、出来る限り市民活動に関わり続けることで政治関係への道を残しました。
彼はロサンゼルス市長トム・ブラッドレイからの指名を受け、1973年から1984年まで、南カリフォルニア高速交通の理事を務めました。地下鉄の各駅に近隣の人々が愛着を持ってくれるようにと、それぞれの場所の個性を現わすアートを施す計画で、彼は計画推進のメンバーのひとりとしてやりとげました。彼は同時に、アメリカ公共輸送協会の副会長も務めました。
彼はエル・プエブロ公園協会の元議長で、Friends of Little Tokyo Arts(アーティストを育成、支援する団体)の前会長です。
国際的な活動としては、クリントン大統領の指名で、日米友好協会の理事を2期務めました。現在、日米交流財団の理事会のメンバーを務めています。日本政府は、彼が行ってきた日米の友好活動に対し、旭日小綬章を授与しました。授与式は2004年11月に東京の皇居で行われ、昭仁天皇より勲章を賜りました。
彼はクロスカントリーの選手だった高校時代からの、熱心な長距離ランナーです。フルマラソンを5回完走し、1984年のロサンゼルス・オリンピックの聖火リレーでも、聖火ランナーのひとりとして走りました。彼とパートナーのブラッド・オルトマンは、ロサンゼルス在住です。
この翻訳は、米国のエクセルシオ・キャンペーン事務局の許諾のものに、久保佐知恵が作成したものです。翻訳ミスが含まれている可能性がありますので、あなたの参考としてご覧下さい。正確にはジョージ・タケイ氏の公式ウェブページをご覧下さい。無断転載を禁じます。
エクセルシオ・キャンペーン日本事務局
| 最終更新日: 2007年2月1日 |